日記・コラム・つぶやき

2007年6月25日 (月)

ヒヤッと、ハッと。

主人からこんなメールが入って、ぎょっ。

会社で事故あって救急車で運ばれたー

機械に挟まれて肋骨折れて肺に穴開いたって

最後に「自分も気を付ける」と付け足されていて、主人では無い模様。

(主語を書いてほしいなぁ(^^;;)

危険がある職場と分かっていても、慣れてしまう等で気づきが抜けてしまうのかもしれません。

***

昨日 某キリスト教系の宗教の方が勧誘に見えたので

「仏教徒だけどそれでもいいなら、お話聞きますよ」と言ったところ

OKだったのでしばらく立ち話をしました。

「自分の欲するところを他の人にもしなさい」という教えがあると聖書を見せて

くれたので、私も五戒や生命は平等であるという話などして過ごしました。

***

高校時代からの友人が、仕事を辞めてご主人の転勤に付いていくかどうか迷っているというので電話で話をしてみました。

・・・・仏教勉強してて良かった。

感情をほどく糸口が、心所を知っているだけでも分かりやすくなっていると感じます。

Img_0951

***

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2007年6月17日 (日)

スローなライフの成果

Img_0922_2

こんにちは、皆さん。冷蔵庫に麦茶の仕込みはじめました(*´ -`)

夏には「一年中麦茶飲んでれば飲み物代減らせるのにな」と思いつつ秋が来ると

忘れている私です。

さて、慣れないバッティングなんかしちゃったものですから、この数日筋肉痛でした(笑

右腕と、腰とが重いので、水中のようにスローに移動しスローに家事をやって暮らしていました。

これ、結構快適です。そして、私は家事をやるとき焦りと怠けで無駄に苦労してたんだなーと気が付きましたよ。

「何事も、早く、失敗なくできるべきだ(それが私の普通の状態である)」

ダウトーーーー!!(≧∇≦)ノ彡 バンバン!

早く失敗なくできることもあるし(訓練済み)、できないこともあります。

できたことの完成度などは、能力どおりです。

はっきり言って、早かったら良いという価値観も、出所が謎。

・・・だれに吹き込まれたのかな(^^;;

「(step by step のステップ無視してワープして)一発でなにかできるべきだと思っている」

すごい、魔法使いかい(笑 いくらなんでも無理でしょ(^^;;

この調味料置き場が気に入らないのは、調味料入れの背の高さとラベルの色とが

バラバラして見た目が調和していないから揃えるでしょ。

塩コショウは使う頻度が高いから、一番取りやすい所に置くでしょ。

などと納得しながらやって、片づけ物が楽しくなりました。

昨年11月にアルバイト先をやめるときに、書道の道を邁進しているおばさま(おばさまの師匠は80代。愛すべき怖~い存在だそう)が

「あなたは自分の身になる仕事をしたほうがいいよ。時間がもったいない。クリエイティブなこととか・・・。」と言ってくれました。

瞑想するようになって「もっと学びたい、技術を身につけたい」という意欲が

湧いてくるようになって じつは仕事選びでちょっと迷っているのでした。

Img_0988 あんまり人生の長期計画を練ったことがないので。

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2007年5月10日 (木)

小鳥の歌-東洋の愛と知恵-

Kotorinouta まやのさんが掲示板にご紹介くださった「小鳥の歌」(アントニー・デ・メロ 著 谷口正子 訳 女子パウロ会)を図書館で借りてみました。

この本には、仏教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒、、ヒンズー教徒、イスラム教徒など登場します。

が、宗教的な知識はなくても楽しみながら読めました。

著者は、宗教に夢中になり当たり前のことが見えなくなってしまう人間の滑稽さをわらい、経験から得た知恵を大切にしようと繰り返し言っているように思えました。

(ときどきイエス様の無償の愛を子供のように信頼しきっているほのぼのしたお話も見えました)

アントニー・デ・メロさんは東洋のヨガ・瞑想を取り入れていた、と書いてありますがどんな瞑想だったんでしょうね。

女子パウロ会オンラインショップ

お話をひとつ、抜き書きしてみます。

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ナスレッディンは死んでいる

哲学好きのナスレッディンは、あるとき、声に出して言いました。「生と死--これらがなんであるか、だれが言えるだろうか?」台所で立ち働いていた妻が、それを耳にし、言いました。「あなた方男性はみな同じだわ。全く実際的でないんだから。手足がこわばり、冷たくなったら人間は死んだのよ、そんなことだれにだって言えるわ。」

ナスレッディンは、妻の実際的な知恵に感動しました。ある日、雪の降るなかを出かけたとき、手と足が寒さでかじかみ、硬くこわばるのを感じました。「おれは間違いなく死んでいる」と彼は思いました。それからさらに考えました。「もし、おれが死んでいるなら、歩き回りながらおれはいったい何をしているのだろう?おれは、すべての尊敬すべき死者たちと同様、横たわっているべきなのだ。」言葉どおりに彼は横たわりました。

一時間後、旅行者達のグループが通りかかり、道端に横たわっている彼を見つけ、この男が生きているのか死んでいるのかを討論しはじめました。ナスレッディンは、心の底から叫びたくてたまりませんでした。「ばか者ども、おれが死んでいるのがわからんのか?おれの手足が冷たくなり、こわばっているのが見えんのか?」でも彼は、死人は話をすべきではないことに気づきました。そこで沈黙を守っていました。

旅行者達は、この男が結局のところ死んでいると決めました。そして死体を肩にかつぎ、埋葬のために墓地へと運んでいこうとしました。分かれ道に来たとき、それ以上進めなくなりました。どちらの道が墓地に行くのか、彼ら同士で激しい論争が起こったのです。ナスレッディンはできるだけがまんをしていました。それから、もう自分を抑えることができなくなり、言いました。「失礼ですが、おのおの方、墓地に行く道は左側ですよ。わしは死人がしゃべるはずはないことは知っておりますが、今度ばかりはルール違反をさせてもらいました。もうこれからはひと言だって声を発しませんよ。」

<現実>が、厳しく守られた信念と衝突すると、<現実>の方が敗者となります。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

で、私たちテーラワーダ仏教を学ぼうとする人々は「生きているとは何か」を自分で観察して発見するために、体の感覚を実況中継して思考を止めるヴィパッサナー瞑想という方法を教わるのです。

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2007年4月19日 (木)

ただの一日

仏画状リクエストくれた方と、花まつりに参加された方々に写真とお手紙の発送。

30枚ほど仏画状の印刷。去年の未使用官製年賀状を10枚ほど発見し、喜んで印刷するも肝心の文字の所が印刷ずれで(;ー;)あぁ~

手書きで文字をたくさん書くのは久しぶりで、ゆっくり書いているとすごく気持ちが癒される・・・・手紙書くの好きだったなぁ。何で書かなくなっちゃったんだろう。

定期的におとずれる「もうパソコンなんてやめてホノボノと生活するんだ 絵も、ぜんぶアナログ画材で描くんだ!病」の初期症状かもしれません(笑

極端なんだよと旦那に笑われます・・・・・両方いいところと悪いところがあるのにね。

もちっとコンスタントに淡々と物事に関われるようでありたいなーと思うのですが。

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2007年4月17日 (火)

八重桜とアウカナ仏

Yaezakura Miyagiya sahodarayata pindima

Katam amhehimam punnam

sabba sampatti sadakam

bhata me anumodantu

paralokamito gato.

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2007年4月 4日 (水)

ほっ。

今日の時間割

11:02~11:15 立つ瞑想

11:15~13:10 歩く瞑想

13:10~13:50 座る瞑想

感覚は弱い気がしましたが、3時間はあっという間に経ちました。

今日は座っても眠くなりませんでした。

あれ、お腹がすいたなぁと思ったら昼食食べ忘れてる(^^;;

この文章書くのに時間かかってるからまだ頭の整理はできて無さそうです。

Kc330034 というわけで我が家の玄関先にある「ボケの花」の写真を貼っておきます。

現在、満開ですがつぼみの方がかわいらしいので。

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2007年3月21日 (水)

義父の誕生日

昨日天ぷらを頂いたお礼を、近所に住む義父にFAXすると、間をおいて義妹からメールでの返事がきました。

「天ぷら、まだ山盛り残ってるよー(--)今日は弟から誕生日おめでとうって電話来たからお父さん機嫌いいよ」

いかーん。誕生日の事なんてすっかり忘れてた!

神戸に住む義弟は人に細かく気を使うのがうまいというか、人懐こい男で、義父に一番性格が似ているのもあって、可愛くてしかたないみたい。

誕生日で父親に電話するっていう項目が、だいたい私の辞書にはないものね(^^;;ちょくちょく訪ねて行ってるから、そんな改まった儀礼は要らないんだけど。

早速メールに返事を書く。

「誕生日の事なんて忘れてたよー!私の実家の父は誕生日忘れられてるのが普通だから、(正確には、思い出しはするけど表だって祝いはしない)私の誕生日も忘れても大丈夫だからねー(≧∇≦)お父さんには明日何か用意しよっと」

義妹より返信。

「まりちゃんが来るだけでお父さん機嫌いいから、なにもいらんとおもうよー。お兄ちゃんも忘れてるとおもうし(笑弟は遠くにいて滅多に会えないから声だけでもきかせろって私がしつこく言ってるから。」

私から返信。

「ちょっと安心した。自分があんまり寂しがりじゃない方みたいなんで、いつも誰かにかまってほしい人(お父さん)の気持ちわからない所があって。期待に応えられてないなーって良く思うのよ」

わがままが言えないぐらいの遠さで、嫌っているでもない近さ、の家族でやってきたいと私は思っています。

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2007年3月20日 (火)

花まつりのぬり絵、準備

ぬり絵と言えば、最近は「大人のぬり絵」「ストレスが解消されるぬり絵」などが本屋さんで平積みになっています。

灯油を買いにでかけたついでに、近所の本屋さんへぬり絵調査に行ってみました。

花、風景、動物、名画、曼陀羅、名作漫画のぬり絵まであります。

大人向けだけあって、線画がとても細かいものがありますねぇ、色鉛筆をほそーく削ってぬるんだろうなぁ。うーん園児だからここまでできない(≧∇≦)ノ

Berubara_1 このベルサイユのばらぬり絵なんて特に、花だの金髪だの飾りボタンだの細かくて、余計ストレスがたまっちゃわないかと。

・・・・うっ?!

Wolfhyousi なんか、激しく可笑しいのを見つけてしまいました。

「えんぴつでなぞり書きする般若心経」は良く見かけますが・・・・・

Wolfserihu

Wolfmappo_1

こんなセリフ、一回ぐらい言ってみたい気もします(笑

かつてイロハ坂で「車を利用した追いかけっこ」をしていた旦那のために一冊買って帰りました。もう更正してるからいいよね。

(ぬり絵調査という名目はどうしたんだ)

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2007年3月14日 (水)

水道のパッキン

先日、旦那が風呂釜を利用したシャワーを取り付けたのですが、それ以来お風呂の水道が蛇口の付け根のところから水漏れするようになってしまいました。

洗濯機にもそこから水を引いているんですから、洗濯している間中しゅわしゅわと大量の水漏れです(^^;;(脱水と洗いの時は蛇口をしめておいて、給水の時にまた開けて、、、とやっていたんですが、いじやけてきました)

Suidou で、もと水道屋のオヤジ登場です。(義父)

部品とか修理法の話をしていると得意そうな様子。

いそいそと分解にかかる義父。

「やっぱり・・・・・パッキンがねぇわ(笑」

スマナサーラ長老の著書にあった、こんな言葉が思い浮かびました。

「たいそうな仕事をしようなどと思わなくて良い、人間にできることはごく小さなこと。ゴムパッキンぐらい役に立てば良いのです。こんなものでも無いと困る、ちゃんと役に立っているのです」

ゴムパッキンのささやかさと、義父が嬉しそうに修理する様子とが重なって見えました。

修理のことは良く分からない私がいて、そこで義父の技術が活きてくるということも感じました。

冷えたタイルの上に立っている義父の裸足を見ながら、67年の歳月をかけて、今まで高めてきた修理の技術、経験、すべてそのうち無くなってしまうんだなぁ死んじゃうんだなぁと考えていました。

文字上だと暗そうに見える話題になってきたので閑話休題(^^;;

Kougu ところで皆さんは工具って好きですか。

私は好きです。(自分では使わないし使えないのにね)

みんな それぞれの形をしている理由があるし、どういう事をするために最適であるよう作られたか、目的を当てっこしてみたりすると楽しいのです。

誰だか分からない、工具を作った人達の工夫が感じられて嬉しくなります。

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2007年3月10日 (土)

栃木弁 慈悲の瞑想

オリジナルはこちら 慈悲の瞑想Metta Bhâvanâ

お世話になったのはこのサイト 福井弁変換道場

Wikipedia栃木弁とは?

お釈迦様は、その土地の人の言葉を使って誰にでも分かるように説法をされたそうなので、栃木弁に訳してみました。なんだか農村や田んぼが背景に見えてきそうな雰囲気になってきます・・・・。でも「~ますように」が「あんべように」はもう少しぴったり来る良い言葉がないのか、不満です(^^;;

慈悲の瞑想Metta Bhâvanâ
仏教を実践する上で、土台となる心を育てる

ヴィパッサナー冥想の実践に入る前に、まんず心を落ち着かせるために「慈悲の冥想」を行うんべ。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があっと、実践の土台として大変役立つんだけっどなぁ。

人間っちゅうものは、自分は個別の「存在」だと思ってんさ。「オレは、オレだべ」 と思っていんだんべ。「オレは...」と思った瞬間で、オレらはこの世界の全体的 な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思っちって自分と他とを区別すんだべ。

区別することによって、自分がビックラこくほど小さなもんになっちって、色々な問題が生じてくべ。人間が人生で出遭う様々な苦悩は、この「オレ」というその個体があるんだ……と思っだどころから生まれて来んだんべ。

かんだんに言えば、この「オレ」という実感さえ無ければ、問題は何も無いんだけっどなぁ。んだべけどさぁ、これはなかなか消えるものじゃなかんべんだけっどなぁ。誰かが体に触ったら「オレに触ったんべ」と感じるし、ちみでー空気が体に触れたら「オレは寒い」というように、かんたんに「オレ」という主語は出て来んべが、んだべけどさぁそのことは大問題なんだけっどなぁ。「オレ」が居っから「他人」が居て、だべから人間関係が悪くなったりすんべぇ。「オレ」が居っから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなんべぇ。ホラ、あれだんべこのように、問題が生じて来んべ。

ほいで、何故「慈しみの心」が必要かというと、いぐら「オレがオレが…」と言っていても実際には、ここにオレが生きていられるのは他の生命が有っからなんだけっどなぁ。オレらが生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れ るものが大部分だべし、ホラ、あれだんべ鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかねぇんだけっどなぁ。

また、オレらの体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしてんさ。それらの生命に「これはオレの体げーら、出て行ってくろな」と言って追い出しちまったら、「オレ」も死んでしま~べよ。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込みお互い助け合って共存してんべの だべ。

げーら、「オレ」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは、 大変必要な条件になんべ。

どんな宗教でも共通して説いてんべぇのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きてんべぇ……ということは重要なポイントなんだけっどなぁ。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通してんべ真髄を実践してんべのだと理解しても過言にはなんねぇべ。

仏教を実践する上で、土台となる心を育てる
次に実践だけっど、ここでは「全ての行動は心に基づく」という法則を用いてんさ。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあんだんべ。

「慈しみ」を実践するきっと最もかんたんで早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことだべ。

道徳や厳しい戒律を守ったり、困ってんべぇ人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったら、それほど意味が無ぇし、後でコワかったり、嫌になる可能性さえあんべ。でも心が「慈悲の心」になってさえいりゃあ、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいもんに変わんだんべ。

げーら、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いが 無く、堂々と美しく生きていぐためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいんだんべ。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることだべ。それさ出来た瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてくべ。ホラ、あれだんべ、何か問題にぶつかってんべぇ人を励ましてぇ場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにして貰ったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだべなぁか……というように、相手の立場を自己に投影してみんだんべ。

それをうんまぐやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなんねぇべ。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にと~と反復して言い聞かせてやればよいんだけっどなぁ。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになんべ。

この「慈悲の冥想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の冥想法げーら、ある意味では入っていきやすい実践だとも言うべ。んだべけどさぁ、この慈悲を念じる実践は、なんたってヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、全ての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じてんべぇのが望ましいんだけっどなぁ。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作んべ。どんな生命にとっても、一番大事で最優先されるのは自分であっというのは、ごく当たり前のことげーら、まずそこのところは正直な心で「オレは幸せであんべように」と念じんべ。「幸せ」とはなんげー?と考える必要はなかんべよ。幸せとはいぐらなんでも良いことだべぇ……というふうに大雑把に理解しておけばいいんだけっどなぁ。

次に「オレの悩み苦しみ が無くなんべように」「オレの願いごとがかなえられんべように」、ほいでオレらは一応仏教の実践をしていっから「オレに悟りの光が現れんべように」と念じんべ。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れんべように」でも構いねぇべ。

二番目には、先程出てきたんべプロジェクションっちうことでもあんべが、自分の「親しい人々」、一番幸福になって欲しいと感じる人々がいっから、そのあんちゃん、ねぇちゃんら(自分のガキや両親、友人、身近な人々とか)のことを同様に念じんべ。

ほいで三番目に、やはり全ての生命が幸福であったほうが一番有り難てぇことだと 思って、ほいで努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じんべ。

この3段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていくべ。言葉は、静かに心にしみこんでくよーに、てーねーに丹念に念じんべ。(何人かで一緒に実践すっときは声を出して唱えることもあんべが、一人で実践すっときは、声を出さなくてかまいねぇべ)姿勢は背筋と頭をまっつぐにして、目を閉じてくろな。

『慈悲の冥想』の言葉
オレが幸せであんべように
オレの悩み苦しみがなくなんべように
オレの願いごとが叶えられんべように
オレに悟りの光が現れんべように
オレが幸せであんべように(3回)

オレの親しい人々が幸せであんべように
オレの親しい人々の悩み苦しみがなくなんべように
オレの親しい人々の願いごとが叶えられんべように
オレの親しい人々にも悟りの光が現れんべように
オレの親しい人々が幸せであんべように(3回)

生きとし生けるものが幸せであんべように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなんべように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられんべように
生きとし生けるもきっとも悟りの光が現れんべように
生きとし生けるものが幸せであんべように(3回)

これまでがワンセットだけっど、さらに続きがあんべ。
次は、自分が嫌いな人、苦手な人のことを思い浮かべんべ。嫌いな人のいねぇべ人はまずいねぇべはずげーら、それらの人を心に思い浮かべて、それらの人のために「慈悲の冥想」を実践すんだべ。
さらに続けて、自分のことを嫌ってんべぇと思われる人々のことを思い浮かべて、それらの人々にも「慈悲の冥想」を実践すんだべ。

オレの嫌いな人々も幸せであんべように
オレの嫌いな人々の悩み苦しみがなくなんべように
オレの嫌いな人々の願いごとが叶えられんべように
オレの嫌いな人々にも悟りの光が現れんべように

オレを嫌ってんべぇ人々も幸せであんべように
オレを嫌ってんべぇ人々の悩み苦しみがなくなんべように
オレを嫌ってんべぇ人々の願いごとが叶えられんべように
オレを嫌ってんべぇ人々にも悟りの光が現れんべように

ほいで最後にもういっぺん、

生きとし生けるものが幸せであんべように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せであんべように」という言葉を、絶えず持続して念じてくろな。そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づくべ。
特にこれは持続して実践すっということがいちばん大切なことだべ。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくんだけっどなぁ。

(オレはこんなごじゃっぺばっかし、やってっがら、とうとえんがみて、禅定も何もないんだべなぁ)

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2007年3月 5日 (月)

五臓六腑

ショッピングセンターにプリンターの黒インクを買いに行きました。

最近プリンターが大活躍。

ドリンクコーナーでお茶しながら昨日の「人体模型Ⅱ」の説明書を

何気なく読んでいると、おや???こんなことが書いてありました。

日本にある最古の人体模型は京都嵯峨野の『清涼寺』の絹製の五臓六腑模型で、

現在国宝に指定されていますが、中国の尼僧が造った物といわれています。

家に帰って、検索、検索・・・・・

なんと、釈迦如来像(平安時代に宋から持ち込まれたもの)の体内に、五臓六腑模型が収められていることが1953年になって分かったのだと書いてありますね。

日本ドグマ人類学協会

06/07/02今月の内臓──清涼寺 五臓模型

なんでまた、内臓のぬいぐるみを詰めて・・・・?

検索してひっかかったサイトの中に「内臓をこめることで如来像に魂を込めたのだろう。だからこれは生きているお釈迦様像だ」という様な説明も見つけました。

内臓があったら生きているのなら、だいたいの死体は生きていることになってしまいます。そして学校の理科室には生きている子供が半分皮がむけた状態で住んでますね。怖い。

Vijayasutta/ 勝利の経

歩く、立つ、座る、横たわる、伸ばす、縮む。身体の動きはこれだけです。。
(この身体は)骨と腱で組み立て、肉と皮膚で舗装されている。皮膚に隠れているのでありのままには観られない。
身体は腸に充ち、胃に充ち、また、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓があります。この身体には)鼻汁・唾液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。目からは目やに、耳からは耳垢、
鼻からは鼻汁が出る。口からは或るときは(食べたものを)吐く。また或るときは胆汁を、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

またその頭蓋骨の空室は脳髄に充ちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。。またからだが死んで横たわるとき、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられる。親族もこれを顧みない。犬や野狐や狼や虫類がこれを喰らい、烏や鷲やその他の生き物がこれを啄む。
ブッダのことばを聞いて、智慧ある修行者は、この(身体の)ことを完全に了解する。あるがままにのみ観る。かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう〉と、自分の身体に対する欲をも、他人の身体に対する欲をも離れるべきである。
愛欲を離れた智慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナという最高の境地に達した。不浄で、悪臭を放つ、この身体を人間が守っている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。
このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは〈観る能力が無い〉という以外の何だろう。

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2007年3月 4日 (日)

不浄観といいわけしながらおまけを買うの巻。

不浄観

私は胃袋の使者でございます。

うーん こんなのが人生の主導権を・・・・・。

■胃模型A

(ガチャポン)人体解剖図観Ⅱ(C)京都科学

↑れっきとした医療教材メーカーが監修しているようです

不浄観

■骨盤付き正規妊娠B

不浄観

なんか寝苦しそうな胎児ちゃん。ちいさいね。

瞑想会でMさんが教えてくれた説法を思い出しました。

スマナサーラ長老のかやの木会館月例講演会で聞いてきたそうです。

「砂漠で赤ちゃんを連れた夫婦が遭難して、まず赤ちゃんが亡くなった。夫婦は生き延びるために、最後の手段として赤ちゃんの遺体を食べないわけにいかなかった」

「食事をするときは、我が子を食べたその夫婦の気持ちで食べると、無駄に食べることは出来ない」

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2007年3月 2日 (金)

善、不善、不善不悪。

善、不善、不善不悪。

ブッダの実践心理学で心所の勉強です。

ajitaさんの「ひじる日々」、スマナサーラ長老講義メモより引用

我々の1:行為、2:言葉、3:思考をi.善、ii.悪、iii.普通、に分ける能力を身につけないといけない。

ここを読んで、身につけたいけど、まずどういうものか分からないといかん。と思い

封印していた本を取りだしてきたんです。

「心のクリーン度チェックリスト」も、是非やってみて。

>飽きっぽい。
ぐはっ。。。。。でも思ったより悪人でなくてよかった。

majjhima nikaaya, No.5, anaNgana sutta によれば、四種類の人がいる。

1.こころは汚れているのに、その自覚はない。

2.こころは汚れているが、それはありのままに自覚している。

3.こころは汚れていないがその自覚はない。

4.こころは汚れていない、また、ありのままにそれを知っている。自覚はある。

自覚はある二人(2,4)は優れている。自覚はない二人(1,3)は卑しい。

・・・・・(ノ`△´)ノ(←不善)

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2007年2月24日 (土)

我が家の仏像

なもーたっせー。

実はちいさいんです(^^;;

ころころ転んでしまって大変で、両面テープで台座に貼り付けようと思ってます。

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