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ダンマーサナHP
閑居堂月記 8月号「知っていたつもり?」(関●宏とは関係ありませんからね)
なんでもう8月号が?!もと印刷業界の酒主さん、お盆進行が、良く煮込んだがんもどきのように身にしみているのでしょう。
N口さんのブログ行け行けかの地へ。も更新されてます!
宣伝部長の名はこちらへお譲りしたいノリの良さです(笑
サンリオかsan-Xが発売してもおかしくない(?)かわいい仏画「キャラ仏」。
新ジャンル設立の予感?(*´ -`)
納涼小坊主イラストの宿題、私も提出せねば・・・・。
2007年7月11日 (水) | 固定リンク
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先週は大変お世話になりました。 インド菩提樹をはじめて見た想いを拙文にしてみました。 これからもよろしくお願いします。
菩提樹を見たことがありますか?
南国インドの菩提樹は日本では育ちません。 インド菩提樹をわたしははじめてみました。
仏陀がその木の下で悟ったという菩提樹。 仏陀に代わる礼拝対象。
生きるというのは時間や空間を非常な速度で旅するようです。 常に動き、そこに留まることはなく、出会いと別れを繰り返す日。
その情景は過ぎ去って留めることはできない。 一粒の雨水のように、地表に降り、地面を濡らし河に注ぎ、大河の一滴として、他の大勢の命と同じく川を下る。 やがて陽に照らされ、蒸発し天に上り、また地表に降りる... そんなふうに循環し、留まることのない、またはできない現象が「生きる」ということでしょうか?
一滴の雨粒が、ものすごい速度で変化する現象の中で、別の一滴と触れ合う出会い。 縁に触れること。
この世で出会う感謝すべきすべてのことが当たり前ではなく(その名の如く)有り難いことだと実感することができれば、もっと欲しい、もっと幸せがあるはずという妄想から離れて ... 人は幸せでいられるかも知れません。
雨粒は、世界を巡る過程で塵や泥に汚れ、時に不純になり、しかしその本質は清らかで、汚れたものとは本質的に異なる純粋さを持っているはずです。 ちょうど水が水であるように、こころがこころであるように本質を変えないように。
菩提樹の葉は涙のしずく、あるいは慈しみのしずくのように - 人に降り注ぎ。心を癒すようです。そしてその色は、光沢のある緑。 あるいは光により変化する100万の緑 - ミリオンヴェール。
この木が大木になったら、木の下に座ってみたいものです。 スコールがあれば、雨のしずくが幾筋も幾筋も葉をつたい、つたい流れてそして、地面に降り注ぐことでしょう。 たくさんのたくさんの世に存在する人の苦しみを集めて葉をつたい。 地に注ぐ。
その時、悲哀と共に樹下に座る人がいたら、降り注ぐ雨粒は悲しみを溶かしてくれるでしょう。
雨粒は、地を伝い大きな川に出合います。 たくさんの思考と感情の流れる川。 想いの行き着くところに。
投稿 Toshio | 2007年7月14日 (土) 23時58分
素敵な文章を寄せていただいて、ありがとうございます。 Toshioさんの思いの中で、菩提樹が大きく育って行くのを目の当たりにするようです。 菩提樹とともに、スコールを体中で受け止めたくなりました。 今後ともよろしくお願いします(^-^)
投稿 ねぎし | 2007年7月15日 (日) 22時51分
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先週は大変お世話になりました。 インド菩提樹をはじめて見た想いを拙文にしてみました。 これからもよろしくお願いします。
菩提樹を見たことがありますか?
南国インドの菩提樹は日本では育ちません。 インド菩提樹をわたしははじめてみました。
仏陀がその木の下で悟ったという菩提樹。 仏陀に代わる礼拝対象。
生きるというのは時間や空間を非常な速度で旅するようです。
常に動き、そこに留まることはなく、出会いと別れを繰り返す日。
その情景は過ぎ去って留めることはできない。 一粒の雨水のように、地表に降り、地面を濡らし河に注ぎ、大河の一滴として、他の大勢の命と同じく川を下る。 やがて陽に照らされ、蒸発し天に上り、また地表に降りる... そんなふうに循環し、留まることのない、またはできない現象が「生きる」ということでしょうか?
一滴の雨粒が、ものすごい速度で変化する現象の中で、別の一滴と触れ合う出会い。 縁に触れること。
この世で出会う感謝すべきすべてのことが当たり前ではなく(その名の如く)有り難いことだと実感することができれば、もっと欲しい、もっと幸せがあるはずという妄想から離れて ... 人は幸せでいられるかも知れません。
雨粒は、世界を巡る過程で塵や泥に汚れ、時に不純になり、しかしその本質は清らかで、汚れたものとは本質的に異なる純粋さを持っているはずです。 ちょうど水が水であるように、こころがこころであるように本質を変えないように。
菩提樹の葉は涙のしずく、あるいは慈しみのしずくのように - 人に降り注ぎ。心を癒すようです。そしてその色は、光沢のある緑。 あるいは光により変化する100万の緑 - ミリオンヴェール。
この木が大木になったら、木の下に座ってみたいものです。 スコールがあれば、雨のしずくが幾筋も幾筋も葉をつたい、つたい流れてそして、地面に降り注ぐことでしょう。 たくさんのたくさんの世に存在する人の苦しみを集めて葉をつたい。
地に注ぐ。
その時、悲哀と共に樹下に座る人がいたら、降り注ぐ雨粒は悲しみを溶かしてくれるでしょう。
雨粒は、地を伝い大きな川に出合います。 たくさんの思考と感情の流れる川。 想いの行き着くところに。
投稿 Toshio | 2007年7月14日 (土) 23時58分
素敵な文章を寄せていただいて、ありがとうございます。
Toshioさんの思いの中で、菩提樹が大きく育って行くのを目の当たりにするようです。
菩提樹とともに、スコールを体中で受け止めたくなりました。
今後ともよろしくお願いします(^-^)
投稿 ねぎし | 2007年7月15日 (日) 22時51分