小鳥の歌-東洋の愛と知恵-
まやのさんが掲示板にご紹介くださった「小鳥の歌」(アントニー・デ・メロ 著 谷口正子 訳 女子パウロ会)を図書館で借りてみました。
この本には、仏教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒、、ヒンズー教徒、イスラム教徒など登場します。
が、宗教的な知識はなくても楽しみながら読めました。
著者は、宗教に夢中になり当たり前のことが見えなくなってしまう人間の滑稽さをわらい、経験から得た知恵を大切にしようと繰り返し言っているように思えました。
(ときどきイエス様の無償の愛を子供のように信頼しきっているほのぼのしたお話も見えました)
アントニー・デ・メロさんは東洋のヨガ・瞑想を取り入れていた、と書いてありますがどんな瞑想だったんでしょうね。
お話をひとつ、抜き書きしてみます。
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ナスレッディンは死んでいる
哲学好きのナスレッディンは、あるとき、声に出して言いました。「生と死--これらがなんであるか、だれが言えるだろうか?」台所で立ち働いていた妻が、それを耳にし、言いました。「あなた方男性はみな同じだわ。全く実際的でないんだから。手足がこわばり、冷たくなったら人間は死んだのよ、そんなことだれにだって言えるわ。」
ナスレッディンは、妻の実際的な知恵に感動しました。ある日、雪の降るなかを出かけたとき、手と足が寒さでかじかみ、硬くこわばるのを感じました。「おれは間違いなく死んでいる」と彼は思いました。それからさらに考えました。「もし、おれが死んでいるなら、歩き回りながらおれはいったい何をしているのだろう?おれは、すべての尊敬すべき死者たちと同様、横たわっているべきなのだ。」言葉どおりに彼は横たわりました。
一時間後、旅行者達のグループが通りかかり、道端に横たわっている彼を見つけ、この男が生きているのか死んでいるのかを討論しはじめました。ナスレッディンは、心の底から叫びたくてたまりませんでした。「ばか者ども、おれが死んでいるのがわからんのか?おれの手足が冷たくなり、こわばっているのが見えんのか?」でも彼は、死人は話をすべきではないことに気づきました。そこで沈黙を守っていました。
旅行者達は、この男が結局のところ死んでいると決めました。そして死体を肩にかつぎ、埋葬のために墓地へと運んでいこうとしました。分かれ道に来たとき、それ以上進めなくなりました。どちらの道が墓地に行くのか、彼ら同士で激しい論争が起こったのです。ナスレッディンはできるだけがまんをしていました。それから、もう自分を抑えることができなくなり、言いました。「失礼ですが、おのおの方、墓地に行く道は左側ですよ。わしは死人がしゃべるはずはないことは知っておりますが、今度ばかりはルール違反をさせてもらいました。もうこれからはひと言だって声を発しませんよ。」
<現実>が、厳しく守られた信念と衝突すると、<現実>の方が敗者となります。
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で、私たちテーラワーダ仏教を学ぼうとする人々は「生きているとは何か」を自分で観察して発見するために、体の感覚を実況中継して思考を止めるヴィパッサナー瞑想という方法を教わるのです。
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